カテゴリ:ちょいとお話( 10 )

体育会系、思い出話(終)

軍隊。。 体育会系クラブの話の続きです。

スキー部なので、日中はスキー場で練習。
競技スキーなのでポールをバンバンくぐるやつね。

はっきり言って、冬の練習自体はキツくない。
疲れる事は疲れるけど、シーズンオフの練習の方が体力的には断然キツいのです。
(長距離、筋トレ、瞬発力のトレーニング)

でも、冬はどちらかというと、夏に鍛えた筋力を使って、スキーの技術を磨くっていう感じなので
ヘロヘロ〜になるほどにはならないのです。

それでも丸一日滑っていれば、足はパンパンになり、太ももや尻なんかは見事に成長しますよ。
(太ももなんか今の倍はあったもんな〜106.png

あと、練習中はセンパイのお世話はすることはほとんどないのでその辺も楽。。アハハ。



・・・・

・・・

さて・・・




1日の練習を終えたら、宿に戻ります。・・・・速攻で!センパイよりも先に!(←基本)

そしたら、トレーニング用の服に着替えて夕方の体操。
朝に立てた部旗を外し畳んでしまうのも忘れずに〜。
(私はよく忘れて同級生や2年生からこっそり怒られたっけなあ〜〜💦


さあ!ここからまた1年生のお仕事が始まりますよ〜


まず、洗濯。

大きな洗濯袋を持って、センパイの洗濯物を集めます。

『洗濯物お願い致します!』って言ってね。

・・・お、お願いしちゃうんだよ。
ここに入れてくださいって。すごいよね。


各部屋の洗濯物を1年生で洗濯(さすがに昭和末期でも一応洗濯機です。105.png105.png

そんなことしている内に夕食の準備。
そこでまた飲み物をオーダーを各センパイに聞き回りメモ。

夕食が終ったら、それぞれやることがまだまだあるんです〜。

乾いた洗濯物を畳み、センパイにお渡しする。
何か飲みたいか伺いを立てる。

そしてセンパイ方がお風呂から上がったら、今度は私達1年生の番。
その際には入り口で

『お風呂、頂いて参ります』と挨拶をして行く。

入部したての頃は、
「い・た・だ・い・て・ま・い・り・ま・す。。。。だってよ!!!!」

なんて、その言い方にビックリしたもんですけど、これまた慣れれば普通になるから不思議。


そんでもって、お風呂から上がって来たら

『お風呂頂いて参りました!』って言うんだよ〜〜。・・・当然です。アハ



そして・・・・・極めつけは・・・



マッサージ!!!


そうです。センパイにマッサージをするのです。
ただ、センパイもしてくれるのでやりっこ、って感じなんですけどね。

慣れてくればまあ、いいですけども
最初の頃とか、ちょっと怖いセンパイが同室だったりすると思いっきりビビってました。

『もっと強く!』とかいろいろ注意されることもあるしね。

あと、センパイからもありがたくマッサージをしていただけるんですけど

これがまた私は苦手でねえ〜〜〜〜💦
特に足をマッサージされるのがダメで、くすぐったくて全然うれしくない。

でも「ひっ!」とか言って硬直すると、怖いセンパイなんか
「ナニ、イヤなの?」とか言うから、「いえ、大丈夫です。お願いします」。。。とか言っちゃってたね。

マッサージでリラックスするどころか緊張しまくりで全然気持ちよくなかった記憶ばっかだな。



そんな感じで、夜は夜でいろいろと仕事があり
その他にも、日誌を書いて、スキーのチューンナップもやって、その間に編み物もして・・・って感じで
あっという間に就寝時間になっちゃってました。

そして、バタンキュ〜!152.png152.png152.png

あの頃は眠れない、、、なんてことがなかったなあ。(更年期の今と違って・・アハハ!)
電気が消えるのと同時に寝入ってた気がするよ。
う〜〜ん・・・・若かった!



・・・と、だいたいで書きましたけど、こんな感じの1日でした。
そしてそれを1ヶ月。。。。。よくやったよなあ〜。
でも今思うとあの頃が一番楽しかったなあ〜〜と思えるから不思議。


まあこれまで書いて来た仕事は1年生の時だけだから
2年生になれば、私だって1年生にやってもらって、たまに注意なんかもしちゃったりしてたんだけど
不思議だよね〜、2年生の頃の記憶ってすっごいうすい。ほぼナシ!106.png105.png
1年生の頃のことは、宿の雰囲気、スキー場の景色、あの頃に流行っていた音楽まで鮮明に思い出せるもんなあ。


あの、「ちょっとそこまで?」っていうくらいの厳しいルールは必要だったのかどうかはわからないし
あれが何かの役に立ったのかも正直言って答えるのが難しい。

だけども、なんか「貴重な思い出」としてがっつり私の心に残っているのは確か。

そして、あの頃のあの経験の数々が、なんらかの基礎、強さ、弱さ、いい加減さ(笑)、として残って
今の私 があるのも確かなんだろうな。

誰にでも勧める事ではないし、あーゆう独特な体育会系が逆に間違った人間を作ってしまうこともあると思う。
大人になってもまだ学生時代のセンパイ風を吹かせ、意味も無くいばって若者に引かれてしまう人だっているしね。アハ!

だけども、私はやってよかったな。。と思う。
やめようかと思ったこともあったけどね。

なによりも、「若いからできた」ってこと!
うん、それに限る129.png


ところで・・・・


今ももちろんクラブはあるんだけど、あのルールはまだあるんだろうか?
まだご丁寧に手書きの年賀状が(実家に)くるらしいから、いろいろな伝統は引き継がれているんだろうなあ。

あ〜!!!そうそう、このOGの方々に手書きの年賀状を書くのも1年生の仕事だったんだ!!!
毎年卒業して行く人がいてどんどんOGが増えて行くから1年生は大変だろうなあ。ご苦労様。

今も頑張っている現役の1年生にエールを送りますよ!


以上、だた〜っといろいろ昔話を書きましたが
きっと、しばらくしたら「あ〜〜〜っ!そういえばあんなこともあった!」と記憶が蘇ってくると思うので
そんときはまた昔話として語ります。



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by miki-argentina | 2018-06-14 19:27 | ちょいとお話 | Comments(0)

体育会系の合宿の朝

さて、私の軍隊。。。のような体育会系クラブでの出来事の続きです。


1年生の「起床です!」のかけ声で飛び起き
冬の寒ーい、まだ薄暗い早朝、軽く散歩、ランニング、体操をして身体を目覚めさせます。
(運動なんかしなくったって、マイナスの凍り付くような外に出れば否が応でも目が覚めるんだけどね)


それが終ったら、1年生は走って中に入り各部屋に戻ります。


ちなみに基本的に、1年生の行動は常に「素早く」なので
走れるところは走る!のがじょーしき!



・・・

さて、部屋に着いたら、まずなにするかっていうと・・・・



靴下を脱ぎます!


そして全部の布団を畳み、部屋掃除開始!

畳の部屋がほとんどだったけど、そこをほうきで掃いて、その後は雑巾がけ。

そうです。部屋を掃除する際には靴下なんか履いてちゃダメなのよ。裸足よ裸足!
お寺の修行僧か??!!!106.png


そんなことをしている内に先輩方が部屋にお帰りになるわけですが
その部屋掃除が終わったら、次はセンパイに朝食の飲み物の希望を聞きます。


『紅茶とコーヒーはどちらが宜しいでしょうか?』 ってね。



それを聞いたら、1年生全員食堂に向かい朝食の準備。

もちろん、ロッジで朝食は用意してくれるんだけど
センパイのご飯、お味噌汁なんかをよそって、それぞれの希望の飲み物をセンパイの席に準備しておくのです。

そこへ先輩方が登場し、みんな揃って「いただきまーす!」となるわけ。


・・・ふ〜〜〜〜っ💦



っと、これが体育会系女子、合宿の朝なのですよ。




・・・たいしたこと。。。ない?



まだ続きます。

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by miki-argentina | 2018-06-13 20:08 | ちょいとお話 | Comments(0)

体育会系びっくり常識

さて、軍隊の頃の話のつづき・・・。
(これを初めて読む方へ・・・・『軍隊』っていうのは冗談です)


30数年前の某女子体育大のスキー部。
入部してすぐに渡されたのが、ノート。

そこにはびっしりと軍隊の規則が書かれていました。

『キャンパス内でセンパイをお見かけしたら、挨拶スベシ。(スベシとかは書かれてないけどね)』

まあ、会ったら挨拶するなんてーことは、体育会系じゃなくたって常識なことなんですけど
その挨拶に伴い、いろいろな注意事項が書かれているんです。

☆肩にかけているバッグは降ろすこと。
☆自転車に乗っている場合はキューブレーキをかけて早急に降りて敬礼!・・ウソウソ!

自転車に乗りながらお気楽に「こんにちは〜」なんて言っちゃダメなんですよ。大変失礼なことにあたるわけです。軍隊、、、いや体育会系では。

だから、キャンパス内は当然、その辺の町中とか駅付近とかで会ってもぴょーんと自転車から飛び降り
立ち止まり挨拶する、、っていうのが我がクラブの決まりでした。

まあ、そんな決まりはたいしたことないんだけどね。
慣れればセンパイに似たような人が向こうから歩いて来ただけで、自転車のブレーキに速攻で手が行くくらいに敏感になるもんです。アハ。

でも、ノートにびっしりと書かれたルール、代々伝わるしきたり106.pngを読んだ時は
正直開いた口が塞がらなかったなあ。

一応、高校では校内で一番厳しいトレーニングをしていると言われてたスキー部でやって来た私なので
それなりに体育会系のルールみたいなのは知ってたつもりだったんですが・・・・

レベルがちがったわ‼️💦💦


もう高校の部活なんて、お遊戯みたいなもんだったね。
(・・・いや、ちょっと言い過ぎか)


高校の時は体力、根性さえあればなんとかついて行けた。
確かにセンパイはおっかなかったけど、とりあえず挨拶して言う事聞いていればよかった。

しかし、あそこはちがったね。

1年生から4年生までのメンバーが全員オンナっていうのもすごい。

私達18歳の1年生からしたら、もう二十歳を超えた4年生なんて別世界の人みたいな感覚だったしね。
今思うと、「み〜んな、たいした差なんてないんじゃん!」とか思うけど、あの頃の1年生と4年生との差は
今の20才くらいの歳の差を感じてました。


さて・・・・

そんな中で毎日体力的にも精神的にも鍛えられていった私達1年生ですが
一番大変なのが、長期合宿です。

スキーっていうからには雪のある場所に行かなければならないわけで
大学は都内だったので12月の初めから北海道で1ヶ月の合宿が行われました。
(夏合宿もあったんだけど、その話はまた別の機会に)

当然、部屋割りは1年生から4年生までごちゃまぜ。
朝から晩まで、そして寝るところまで一緒の1ヶ月のなが〜い合宿。
普段大学構内でセッセと走ったり筋トレしてるトレーニングとはまったく違う環境なわけです。

我ら1年生はいろんな失敗をして、そのたびに2年生に怒られ(注意するのは2年生の役目なのです)
いろいろと学んでいったのであります。


まず、起床!!(一番苦手だった!)


朝、まず起きて電気を点け(真冬の朝は暗いのよ)『起床ですっ!』
と元気よく声をかけるのは1年生の役目。

それ前にゴソゴソしたり起きたりしたらダメ〜〜〜。

もちろん、みんなクタクタに疲れているのでそれまで寝てるけど
私なんか絶対に目覚ましナシでは起きる自信がなかったもんね。

でも、同じ部屋の1年生同士で「じゃあ、明日の起床はアナタね。」などと
色々な仕事を分担していたので、やらないわけにはいかない。

そして、どうなるかっていうと・・・・・



ピピッ、ピピッピピッ!


そうなんです。絶対に鳴らしちゃうのよ、私!122.png122.png アハハ〜〜〜。

今でも同級生に会うと言われます。

「アンタはよく図々しく朝までぐっすり寝てられたよね〜。
わたしなんか心配で5時前から10分置きくらいに暗がりで時計チェックしてたのにさあ〜」。。。なんてね。

図々しかったのか、朝が弱かっただけなのか、日中トレーニングのし過ぎて過労だったのかはよくわからないけどね106.png


まあ、そんな感じで朝は1年生の「起床です!」のかけ声と共に一斉に飛び起きます。
本当に文字通り「飛び起きる」んです。

もぞもぞ、、とかなんてやってられない。

だって、速攻で外に出なきゃならないんだもん。
もちろん、センパイより先に!(←コレ大事。当然。)

だから目が覚めないとか言ってられないわけです。
速攻で枕元に置いておいた靴下履いて、帽子被って、手袋して寒い外に出る格好をして走って外に出て
後からゆっくり出て来るセンパイ達を待ちます。

ちなみに、たいていの合宿場所はよくあるスキーロッジだったりするんですが
部屋はだいたい5〜6人でシェアをします。
ってことは各部屋に1年生が目覚ましを用意しておくわけですが
その時計が1分でも狂っていたら大変!
みんな一斉に起きるわけだから。

なので、毎晩夜に各部屋の1年生が目覚まし時計をかっちりと合わせるのも仕事でした。(すげ〜〜〜!)



あ、そうだ。
1年生のもう1つの仕事に、部旗を立てるっていう仕事がありましてね。

前夜に担当になった1年生は、朝のトレーニングで外に出る時にスキー部の代々伝わる部旗とポールも持って出て
センパイが出て来る前に立てるのです。(もちろん夕方に仕舞うのも1年生)


そして部旗を立てたあとは、『気をつけ』をしてセンパイを待つ。
モタモタして部旗が立つ前にセンパイ来ちゃったらお仕置きだからね。
・・・なーんつうのは冗談ですが、お仕置きまではいかなくても本来すべき仕事がされてなかったり
遅れたりすると朝と夕方のトレーニングミーティングで謝らなければならないのですよ。

もう、私なんか最初の頃は、本当に「目覚まし常習犯」だったのでしょっちゅう謝ってました〜。アハ

「お願い致します!(何かを発言する時には必ずこうやって言うのも決まり。お願いします、じゃなくて、お願い”致します”っていうのも決まり)
本日、目覚ましを鳴らしてしまいました。大変申し訳ございませんでした。
今後このような事のないよう十分気をつけます。ありがとうございました!(最後にこうゆうのも決まりね)


さて、センパイたちが外に出て来たら、軽い散歩とランニング、そして体操。
(この体操のかけ声だってそのクラブ独特のかけ声があるんです。・・ね?軍隊でしょ?)

真冬の早朝なんてまだ真っ暗ですよ。
キンキンに冷え込んでるしね。
北海道での合宿はマイナス26度っていう記録があるくらいさぶかったなあ。


そんな寒さの中無理矢理身体を目覚めさせたあとは先輩方のお言葉。
まあ、その日の日程とか注意とかが主だけどもね。

そして、それが終ったら、またダッシュで宿に入ります。

で、何が待っているかと言うと・・・


・・・


長くなるので続きはあとで。。。。


ひえ〜〜〜、まだ朝食まで進んでないんですけど〜〜💦



ちなみに、私の目覚めの悪さと毎朝の謝罪に辟易した優しい同級生は
「もう、アンタは起床係から外そう!その代わり部旗係だよ!」なんて言ってくれてまして
それからは目覚ましの音は聞く事もなく、先輩方は(いや、私も)起床です」の声で起きてました。106.png105.png105.png105.png



次回は朝食、、、、いや、その前にまだ仕事があるんですなあ〜。


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by miki-argentina | 2018-06-12 13:32 | ちょいとお話 | Comments(0)

バリバリ体育会と乙女の時代

前にもちょこっと触れた事がありますが
わたくしは某女子体育大学のバリバリの体育会のスキー部でした。

スキー部って言っても、ユーミンが流れるような楽しいサークル的なものではなく(ユーミン聞いてたけどね)
もう『軍隊』と言ってもいいんじゃないかと思うようなバリバリ体育会。

あの頃のことを話せば、原稿用紙何枚あっても足りないくらい
いろ〜〜んなエピソードが書けます!106.png106.png



今日はその頃の『編み物』のことをちょっと・・・・。


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1年生の時、シーズンが始まってすぐ。
12月になると北海道で1ヶ月ほどこもって合宿が始まったんですが
その前にセンパイ方から、編み物のことについてご通達があったのです。

『今年のユニフォームの色に合わせて各自帽子を編む事。
そして、それをインカレの開会式でかぶること』

これは毎年の恒例らしい。

軍隊ですから、センパイの言う事は絶対でございます。
編み物なんて手を触れたこともない子だって、センパイがやれって言えばやるのが体育会系!

確か私達1年生が、言われた通りに部員全員分の毛糸を買いに行ったような記憶があります。
確か、白、赤、青の毛糸だったかな。

デザインはどうでもよくて、とにかく編めばいいらいい。

でもその頃の私達1年生で編み物が上手な子はおらず
それはもう見よう見まね。

運良くというか、私達1年生は2年生、3年生、4年生と同じ部屋で1ヶ月以上寝泊まりをするので
優しいセンパイに教わったり、同級生同士であーだこーだいいながら頑張ったもんです。

ただですね。

1年生は本当やる事が多くてなかなか編み物にずっと集中している時間なんか取れないのが現実。


だって私達1年生の仕事って本当にいっぱいなんだもん。

朝から1日トレーニングした後、宿に帰ってからは洗濯(モチロンセンパイ達のも)
夕食、お風呂、そしてセンパイのマッサージ。
乾いた洗濯物を各部屋のセンパイに配ったり、部の日誌を書いたりしているうちに消灯・・・なんていう感じなので
編み物なんて2段くらい編めば上等!103.png103.png

それでも、なんとかインカレの開会式には全員手編みの帽子を被って行進していたんだからすごいよなあ〜〜〜。

1年生なんて帽子なんて編んだ事ない子がほとんどだったから
サイズがとんでもない事になってたり、編み目だってボッコボコだったりしたけど
みんな無理矢理頭に乗っけてたよ、、、💦


今思うと、体育会と言うちょっと軍隊的な場所で
ややもすると忘れがちな『乙女』(←誰が〜??)の部分を思い出させる為にわざわざそんなことをさせていたのかもねえ。アハ。


でも、私の編んだ帽子が日の目を見たのは、あの開会式の日だけだったけどね。

・・・・・

・・・・・

・・・・・

この間、今編んでる編み物の話を、同じスキー部だった子に話をしたんだけど
やっぱりあのスキー部時代の編み物ことを懐かしがってたなあ。

『あの習慣、いったいなんだったんだろうねえ〜。アハハ〜106.png

なんつってましたけど、本当もう30年以上も前の事はなんでも『いい思い出』『笑い話』になるからいいやね。


30年以上も経っているのに、鮮やかに蘇る記憶・・・。
まあ、それだけ強烈だった時代だったってことなんだけど
あの頃、特に1年生の時のことはよ〜く鮮明に覚えているもんです。


・・・ちょっと懐かしいので、次回はその頃のエピソードを書こう〜。



今日も訪問ありがとうござます。


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by miki-argentina | 2018-06-10 19:59 | ちょいとお話 | Comments(0)

いよいよオリンピック!

いよいよ始まりますねえ〜オリンピック!

今はこんなんですけど(?)、私も元はバリバリ体育会系のオンナ(元ね、大昔ね。)
やっぱりオリンピック観るのは大好き!
カールルイスの大ファンだったし!(ってテレビでも言っちゃったね)

あとねえ、この歳になるともう涙なしでは観られないほど感情が入り込んで見入ってしまうのですよ。
もう普通の、それこそそんなに大した場面でなくても泣いちゃう。

「あ〜、今まで血のにじむ努力したんだろうな〜」
「いろんなプレッシャーに耐えてきたんだろうな〜」
「ここまで支えた親御さんはエラいなあ〜」

などと、勝手に感動ドラマ化させて選手達を見ちゃうと、もうダメダメ。
脳内で盛り上げる音楽まで流れて更に興奮させて泣く。
え?おかしいっすか?

まあね、現実にはドーピングを使ってまで上を狙うおバカさん残念な人たちもいるのは確かなんですけどね・・・。


ところで、もうニュースでもあーだこーだ言ってるように
今回のオリンピック、、、いろんな意味でちょっと心配でもありますねえ。ジカ熱とかテロとか
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だってあなた、南米ですよ!
犯罪の多いリオデジャネイロですよ!

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こんなプリプリなお姉ちゃんがお出迎えしてくれるのかもしれませんけど〜

だ・だいじょーぶなの、リオ!?

っていうのが、ちょっとだけ南米生活をかじった私の本音です。
残念ながら。


私達がリオに行ったのは約1年前
去年の8月後半アルゼンチンを去って、日本に帰ってくる途中に立ち寄りました

「それでも世界的に有名なリオデジャネイロ
来年はオリンピックだし・・・きっと・・・・!!」

と、ちょっと期待して行ったわけですけど、やっぱりアレでしたね。
残念ながら「南米」でした。

有名なコパカパーナビーチはオシッコ臭く
建物もスラム街みたいな感じだったし
これで来年オリンピックやって大丈夫なの?・・と思ったもんです。

地元の人は
「俺たちは絶対にここの海には入れないよ」
と、言うほど悪い下水事情も耳にしたしね。。。

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それでも、頑張って地下鉄もギリギリ間に合ったみたいだし
選手村のホテルもあちこちでまだ準備ができてないとはいえども、とりあえず寝られるようにはなったみたいだし
とにかく世界中から集まる選手や応援団たちが滞在中とにかく安全に過ごせるよう無事に終わることを願うばかりです。


ジーザスさん、頼みますよ!
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運良く私は来週から日本!
日本で久々にオリンピックを見て、日本を応援できます!
もちろんニュージーランドも応援するけど、やっぱりね、私はニッポン人ですもの。
まずは日本です!

がんばれニッポン!



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by miki-argentina | 2016-08-05 19:21 | ちょいとお話 | Comments(0)

変更しまーす

昨日ちょこっと触れたとおり
このブログタイトル変更します!

実は一旦変更して、南米のブログランキングからも抜けたんだけど

あ・・・もしかして前のブログ名から訪問して下さっていた方もいるかも・・

と思って、また一旦戻しこれを書いてます。


なので、もし次回私のブログを探して下さる方は

「世界の田舎生活:ニュージーランド編」

を探してくださーい。

アフリカのようにまったく別なブログを作ろうかと思ったんだけど
面倒くさいのでやめました。あは

ブログランキングも今度はニュージーランドに変更しました。

今後とも宜しくお願います。


取り急ぎおしらせまで〜〜
で、ついでにコレ押してもらうと今度はニュージーランドのブログさんたちへ仲間入りさせてもらいます。



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by miki-argentina | 2015-10-10 07:06 | ちょいとお話 | Comments(4)

ちょっと恥ずかしい光景:日本人編

トマトがうまい〜〜〜〜〜っ!!!
トウモロコシが甘〜〜〜〜〜い!!!

私個人的にはミョウガがたまんね〜!003.gif
(家に回りにはあっちこっちにミョウガ畑があるもんでね)


と、田舎の新鮮野菜に唸っている毎日を過ごしています。

我がふるさとは、トマトやトウモロコシ、そして大根がいーーーーっぱい。
だもんで、農家から直接届く傷のついて出荷できなくなったものを頂けるラッキーな時期なんですなあ。

それもタダで!024.gif024.gif024.gif

トウモロコシ大好きなゴンは、今の時期どこの家でも余っているほどあるトウモロコシにかぶりついてます。
(親戚の家に行くと必ず出されるんでね)


・・・さて


ところで、日本の話の前に、1つどうしてもここに書き残しておきたいことがあります。


日本に帰って来る前のリオデジャネイロで異様とも言える光景を目にしました。

それは・・・

日本の高校生。
男子。

たぶんサッカーか何かの運動部の団体、2組。合計50人ほど。
全員五分刈り。
アディダスのダブダブ〜と着た運動着。


ま、それはいい。
それが規則だしね。
スポーツマンらしくていいですよ。

だけども・・・

なんと、その中の9割の男子が

マスク!!!をしているんですよ。

だら〜〜っとスーツケースに寄りかかったり、座ったりしている男子が
みーーーーんな白いマスクをしているんですよ。

日本ではマスクをするのは普通の光景だと思うんだけど
あれ、海外でやったら絶対異様な光景。

近くにいた人は

「なんだあれは?おかしいよ」(もちろん英語で)

と、言ってじーっと彼らを見つめて首かしげてましたよ。


そりゃそうだ。うん、うん、私もそう思う!


あまりにも目立って異様な光景だったので
同じ日本人としてちょっと恥ずかしく、マジで「やめた方がいいよ」とおせっかいおばさんになってしまいそうでした。

飛行機の中は乾燥しているから・・とか
変なばい菌が入らないように・・とか

日本ではマスクの必要性をいろいろと言っているようだけど
海外で、それもバンバンスポーツをしている若者がそこまでする必要はないと私は思う。
ってか、そんな柔でどうする!と私は16、7歳の若者に言いたい!

『みんなと一緒』『右へならえ』の日本独特な、ある意味変な習慣は時によってはおかしな行動を引き起こしてしまう。
そんなことを象徴するような光景でした。

まあ、本人たちがいいのならそれでいい。。ちゃあ、それでいいんですけどもね。

やっぱり同じ日本人としてちょっと恥ずかしいものです。


それからもういっこ。

それは日本についてお台場での出来事。

週末だったせいもあって結構人が多く、道わきでも芸人を目指す(きっとね)パフォーマーがいたんです。
そしてその回りには小さな子どもたちとその家族たち。
私達も暇だったのでちょっと見させてもらったんです。

正直言ってたいした芸じゃなかったけど、15分ほどのパフォーマンスの後、一応寄付というか、「お客様の気持ち」として
お金を頂きたい・・・みたいなことを彼が言ったんですね。

さあ、皆さんはここでどうしますでしょうか?


私達は普段たいていどこでも、別に大きな感動したわけではなくても一応そこで見させてもらった気持ちとして
コイン(小銭)は必ず入れてくるので、当然今回もお金を出しました。

しかし


しかしですよ、皆さん。
なんと、そこにいた30人ほどの日本人の人たちは(多くが親子)は、サーーーッと帰ってしまったんですよ。
子どもたちは結構笑って楽しんでいたのに、なんにもそれに対する「気持ち」はあげたくないらしい。

で、驚くことに、お金をあげたのはゴンともう一組の外人さんだけ!

芸人さんも「あれ〜!なんと外人さんだけ!・・・・ありがたいです。」なんて言ってました。

これも、ちょっとある意味びっくりの光景で、特にゴンはびっくりしてました。
外人さんに親切で礼儀正しい日本人は意外に「ケチ」だったんだと・・。
これも、もし誰かがあげたら、「じゃ、私も」ってなるのかな。
いや、そうゆう問題じゃないと思うなあ。


これにもいろんな意見があるし、別に強制することではないですけど
私個人的には、やっぱりそこで見させてもらう以上、10円でもいいからあげようよ!って思うな。
特に、子どもが一緒で、子どもがケラケラ笑って楽しんだのならなおさら。
「ありがとう」の意味を込めて子どもに10円握らせて「お兄ちゃんにあげてきなさい」・・・ってくらいのことを親が言ったら
子どもは何かを学ぶんじゃないかと思うんだけど・・・。

まあね、これも個人差があるのでどうしろこうしろとは言えませんけども
少なくとも私が知ってる海外では、同じような光景では親本人が、もしくは親が子どもにコインを握らせて渡す
ということが普通に行われている気がします。

良い悪いは別として、ちょっと日本人として「がっかり」した光景でした。


どーでもいいこと・・・かもしんないけど
どうしても言いたかった・・。




みなさんはどう思います?


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by miki-argentina | 2015-09-03 10:06 | ちょいとお話 | Comments(4)

お知らせ

もう大分前から決まっていたことなんですが
もう1ヶ月を切ったのでここでお知らせします。

今月の22日にアルゼンチンを去ります。

いろいろなしがらみの多い場所で働いているゴンはほっとしている様子。

先週の小旅行は使っていない休みを使い切る為と、アルゼンチンにいながらここの観光をしていなかったので
慌てて行ってきた・・って感じです。

首都のブエノスアイレスには結局行かずじまい・・・だな。
空港とホテルには行ったけど、町中は一切見てません。
今回帰るときもブエノスアイレスに立ち寄るけど、きっと空港止まり。
まあ、大きな町は苦手な二人なので別に心残りは・・・ないかな。
(ごめん、ブエノスアイレス)


改めて地図を見るとわかるけど、アルゼンチンって土地的には大きな国。
南の方に行けばパタゴニアとかいろいろ見る所はいっぱいあるんだろうけど、なかなか移動が大変です。

でも、今回サンタフェ地方、コルドバ地方に行ったので、とりあえず少しは観光した・・・ってことで満足してます。


アルゼンチン・・・・

まったく知らずに予備知識ゼロで乗り込んできましたが。。。
いろんな意味で ”意外” に「残念」な国だったなーと言うのが本音ですかね。

それを象徴しているのが、地元民の言葉。

サンタフェでアンドレスのお父さんが挨拶に来た時のこと。
話の中でそのお父さん、こんなことを言いました。

「神様はアルゼンチンにすばらしい土地を与えてくれた代わりに、厄介な人間を置いてってくれた」

確かにアルゼンチンは土地が豊富で、自給率は非常に高い。
さらに石油もガスも金も銀もでる国なのに、なぜまるでアフリカの貧しい村みたいな風景が広がっているのか?

あと、旅の途中でメルロと言う地元の人に人気の観光地にも立ち寄ったんですが
そこに家族と旅行に来ていた中学生と話をすることがありました。

彼は英語は勉強しているものの話す機会がないのでなかなか話せないといい
それでも一生懸命私と会話してました。

その時彼が言ったこと。

「アルゼンチンは美しい国だけど、政府が崩壊している。政府のせいでダメな国になっている。恥ずかしいよ」

・・・

・・・

14歳の男子ですよ。14歳。

なんだかなあ・・・。
可哀想になってしまった。

はっきり言って、アルゼンチンの政府の悪さはあっちこっちで日常で聞くので
きっと14歳の彼だって否が応でも耳に入ってくるんでしょう。

それにしても、初めて会うアジア人のオバちゃん(←私)にそんなこという14歳がいるだろうか?
それだけ国民の政府に対する不信感が高いってことなんでしょうけど・・それにしても。。。ねえ。


でも・・・

私個人的にここで出会った人たちはみーーーんな(ほぼね)いい人たちでした。

カリンガスタ村でも子ども達も学校の先生も店の人たちもみんな親切で良い人たちだった。
ゴンは仕事柄外人ということもあっていろいろ嫌な目に逢って来たらしいけど・・・。
(外人・よそ者を排除しようとするのはきっと何処の国にいってもある程度は同じなんだろうな)


あと3週間弱。
持って行けない服などは教会に寄付したり、ニュージーランドの家に送る荷物を作ったりと忙しくなります。

それから大事なのはボブのこと。
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最初はニュージーランドに連れて帰ろうかと思ったんだけど、ニュージーランドに私達が落ち着くという確信がないので諦めました。
近所のオバさんがもらってくれると言ってくれてるし、他にも「欲しい」って言ってくれる人がいるんだけども
今一番良い場所を検討中です。


・・と、以上報告でした。


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by miki-argentina | 2015-08-03 23:21 | ちょいとお話 | Comments(6)

留学までの道のりと追い風

今でもはっきり思い出す。

友達とどっかで夕食を食べながら、
『カール・ルイスとの将来の密会(?)の為には英語が必要だ!まずは英語だ!英会話だ!034.gif
b0334436_18422259.jpg
と、真剣に語っている自分・・・・。
そしてこんな彼とペラペラ英語で会話している自分を想像していた。016.gif

さらにこんなことを言ったのもはっきり覚えてる。

「まず、一歩!」


そんな言葉を神様はちゃんと聞いていたらしい・・・。
「英語を学ぶ」宣言をしてからすぐ、1週間も経たない内にアパートの郵便受けに入ってきたのは
「英会話教室」の広告! しかもキャンペーン中で割引!

そりゃやってみるしかねーべ!ってことで、速攻で申し込みました。

はっきり言って、学生時代の私は「英語」と言う授業は苦手でした。
短大の英語の試験で「一夜漬け」をして、朝方の仮眠をしたらうっかり寝坊して試験を受けそこねる・・・と言う失態もしてます。
試験を終えた友人の「ウメ!(そう呼ばれていた)なにしてんの?具合悪いの?大丈夫?」との電話で目を覚ました時の脱力感って言ったら・・・。
(結局2000円の罰金を払い追試を後日に受けた・・・んだっけな?)

そんな私なので、英会話教室を通い始めた時は

『 I am 』 と 『 I was 』の区別からやり直さなければならないほどひどいもんでございました。037.gif

でも ”なんとかなる” もんです。
(この言葉、何度使っただろう)

英会話の先生に
「ホテルに勤務してて、アメリカ人がいっぱいいるんだからそのチャンスを使わない手はない!是非頑張って」
と言われ、そのときホテルでショーをしていたアメリカ人に声をかけてみたのでした。

「私は○○(名前)です。英語を勉強しています。いっぱい英語が話せるようになりたいです」

と、幼稚園の子どもが「ウルトラマンになりたいです!」と七夕の短冊に願い事でも書くような、そんな単純な文を書いたメモを持ち歩き
もし食堂で会ったら渡そう!とそのときを狙っていたのでした。

今思うと、「大胆!」と思うけど、なんだかそんなことができてしまったんだなー、あの時は。

それからは、もうあれよあれよと言う間に、英語を話す事に楽しさを見つけ、ホテルで働いていたアメリカ人とチャンスさえあれば話し
終いには彼らと休みの日に出かけたり、だんだんと友人関係を築くまでになっていったのです。

英語が話せるようになる → 新しい出会いがある → 違う文化を知る → 人を知る!!

→→→ おもしれ〜っ!!!!


と、こうなってきたわけです。

これで、もっとちゃんと自分の意見を言えて、人の話も理解できたら・・・
いったいどんな世界が広がっているんだろう?!

そんな風に思い始め、この歳で流暢に話すにはもう集中して勉強するしかないだろう・・・ってことで
そこで初めて『留学』と言う言葉が思い浮かびました。

既に友達として交流を深めていたアメリカ人たちは、半年の契約期間を終えアメリカに帰ってしまっていて
私が留学の話をした時は、「是非私達の家にいらっしゃいよ!」と言ってくれたのですが

なぜか、私はその時
「友達の世話になるのではなく、誰も知ってる人がいない、更に行ったことのない国」にしようと決めていました。

そんな話を英会話の先生にすると
「じゃ、ニュージーランドなんてどう?」

「え?ニュージーランドってどこですか?」

・・・そう
その時の私はニュージーランドがどこにあるのかさえ知りませんでした。


留学を決めて、しばらくしてから辞表を出した時の支配人の言葉・・・・今でもはっきり覚えてます。


「30目前のオンナが留学して、英語がまあまあ話せるようになって日本に帰ってきても、なんの役にもたたねーぞ」
「今のような仕事にまた就けるとは思うなよ」

・・・

・・・

・・・

今思えば、失礼極まりない言葉にも思えるし、ある意味「確かに」とあの頃の日本の現実を考えれば納得することもできる。

でもその時は、私の頭には「留学」のことしかなかったので、彼の言葉はいずれにしてもまったく見事に頭に入ってきませんでしたね。

「でも、行きまーす!お世話になりました!」


と、数ヶ月後に退職。
いよいよニュージーランド留学に向けてあれこれ忙しくなりました。
そのとき29歳。

あれ?
おかしいぞ?
25歳くらいまでには普通に結婚して、普通に主婦になって・・・・と言ういわゆる『普通』な道を歩くと思っていたのに
なんか全然違う方向に向かってるぞ。


でも
なんなんだろう?
『追い風』みたいなものってあるんだな。。と今でも思います。
あの時は本当にニュージーランドに向けて『追い風』が吹いてました。

いや〜不思議。
あの時の自分の行動力はいったいなんだったんだろう?と今でも思う。

1年後日本に帰国した後のことなんてまったく考えてもなく
とりあえず、目の前にある「留学」のことだけしか考えられなかった。

・・

うーん

また繰り返すけど

『なんとかなるもんです!』 006.gif

目の前のことを、とりあえず一生懸命やってたら、道はおのずと開けるんじゃないかと・・・。


あはは、ダメかね。
そんな計画性のない人生は・・・・。

「少年よ大志を抱け」と言ったクラーク博士。。。
すんません。私は『大志』を抱かず生きてきました。040.gif



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by miki-argentina | 2015-07-23 19:31 | ちょいとお話 | Comments(3)

カール・ルイスとの出会い

テレビのカメラを前にして言ってしまったことなので
ここでもぶっちゃけちゃいますけど

私の『憧れのお方』だったカール・ルイスのことをここでちょいと語らせてもらいます。
(そんなことどーでもええわい!ってかたはスルーしてね)


『憧れの ”人”』じゃないよ、『憧れの お・か・た053.gif』ですから、もう。

なーんてね、今じゃすっかりあの頃の情熱は冷めてしまっているわけなんですけど
彼の全盛期にはそりゃもう盛り上がりました、私。

自分が短距離と幅跳びを得意としてやっていたこともあってさらにお熱が上がりまくり016.gif
白い靴下をはいたあの細く締まったふくらはぎっ!・・・セクシー最高でしたね。(←アブナイ・・)
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彼の最後のオリンピック。
1996年のアトランタでの彼の活躍は、もうしびれまくってました。
朝仕事行く途中にセブンイレブンに立ち寄ってー
彼が載っているスポーツ紙全部買って彼の記事は10回くらい読んでー
更にその部分を切りとってー
そして気に入った写真は仕事場のデスクに挟んでー
たら〜んと目をハートにして仕事してました。037.gif

それを見ていた(あきれていたとも言う)男性上司たちは
「おいおい、そんなに黒いのが好きなのかあ〜?へへへ」とからかってましたけど、私はぜーんぜん平気。

あの時の彼に比べたら、オフィスの男性陣なんて・・・・・・くらいなもんにしか見えてなかったんで
そんな人たちに何言われてもそれこそ『馬耳東風』。
(その時の上司達がこれを読んでないことを願う!)

そんな私の「カール熱」はホテル内(私が勤務してたところ)では結構有名になっちゃってました。

そして・・・

私はとうとう(形としては限りなく実物に近い←おおげさ)カールルイスに出会う事になったのです。

私はホテルの人事課で働いていたんだけど、ある日オフィスの私の電話が鳴りました。
相手は人事課長。そう直属の上司です。
毎日同じオフィスで仕事していたので、私の机のカール・ルイスの新聞切り抜きはよーくご存知。

その日、上司は事務所の近くにある、彼の友人でもあるカメラ屋さんから電話してきたんです。

そして、彼がこんなことを言いました。

「あのねえ〜、俺、今カール君と一緒なんだけど、迎えに来てくれるかなあ」
「なるべく早くな。よろしく〜!」 (ガチャン←電話を置く音)

は?
今、なんて?
誰?カール君って?

と、その時はいったい彼が何を言ってるのかわかりませんでした。
いつも冗談を言う人だったので、まあ、何か荷物があってそれを持ちに来いってことなんだろうな・・・と
歩いて5分ほどのそのカメラ屋さんに向かいました。


そして、店のドアを開けた途端・・・・


目の前に立っていたのはなんと

このお方↓↓016.gif016.gif016.gif


b0334436_01294233.jpg

等身大の(木製)カール・ルイスだったのですよ!!


びーーっくり!!
190cmほどの巨大な彼が笑顔で立ってたんです。

そして
身長160ちょっとしかない上司が、カールの腰あたりからひょっこり顔出してニコニコ・・・。


確か、その当時、富士フイルムかどこかがコマーシャルでカール・ルイスを宣伝として使っていたんだと思うんです。
で、そのカメラ屋さんにはカール・ルイスの紙のポスターの他に木製でちゃんと立つ、等身大のカールルイスも置いてあったんですよ。
それもプラスチックとか発泡スチロールとか軽いもんじゃなくて、『板ばり!』

その上司は友人に頼み込んでくれたらしく、なんとそのカール・ルイスを私の為にもらってくれたんです〜!

今思うと、190cmのカールルイスを上司と二人で持ちながら、事務所まで歩く姿はかなり異様だったと思います。
カールルイス、、、ちびっこい日本人に両脇を抱えられ・・・誘拐? みたいな光景。

「せっかくもらってやったんだから、ちゃんとアパートまで連れて帰れよ!」

と言う上司の言葉もあったので、車の助手席を倒しなんとか車に詰め込みアパートに連れて帰りました。

しかし・・・


その時住んでいたアパートっていうのはワンルームで8帖ほどしかない小さい部屋。
最初はカール君と一緒に寝起きしていたんだけど、だんだん邪魔になってきちゃってね・・・・037.gif
布団を敷くたびに「ちょっとどいてね」と移動させ、友達が来ても座る所を確保する為に移動させ・・・
と、しているうちに、とうとうカール君、居場所がなくなってしまったんですねえ。
あと、木製だったし、立てる為の金具とかもあったので結構重たかった。

そして最終的な彼の居場所が・・・ベランダ!! 
もちろん外から丸見えだったので、かろうじて彼には家の中を見てもらうようにして外向けには怪しい後ろ姿だけ。

友達が来るたびに、「あ〜あ、可哀想だね、カール・・・」と言って気の毒がっていたのを思い出します。

結局雨風にさらされ、さすがのカールも色褪せてきてしまって最終的には廃棄物となってしまったわけですが・・・


そう、そのカール・ルイスが私の「英語」を勉強するきっかけになったわけなんですよ。

ついこの前、テレビを観た友人も
「あったよねえ、ベランダにカール・ルイス・・・」って言ってました。037.gif


でも人生ってわからないもんです。

本当に、あのとき
「もしカール・ルイスと会ったとき、ちゃんと英語話せなきゃダメじゃん?」 

って真剣に言ってましたから、私。・・・バカですね。

そしてそんな風に、バカっぽいことでも真剣に言ってると、ちゃんと神様は用意してくれるんですねえ。
その後、いろんなことが変わっていくわけなんですよ。

あ、でもその時点では仕事を辞めることも、「留学」なんてこともこれっぽっちも考えてませんでしたけどね。




・・・と、長くなったので今日の話はここでおしまいにします。


別にそれから何がどうなって29歳で留学しようとしたのかなんて興味ないって方もいらっしゃるでしょうけどね。

でも、やっぱり「運命」とか「追い風」ってあるんだなーと、あの時の自分を思い出すとつくづく思うわけです。

もしよろしかったら、この話、続けてみます。


今日も訪問ありがとうございます。
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by miki-argentina | 2015-07-22 22:32 | ちょいとお話 | Comments(3)